神戸地方裁判所 昭和55年(ワ)607号 判決 1983年12月20日
原告兼原告亡赤松重雄訴訟承継人
赤松まさゑ
原告亡赤松重雄訴訟承継人
長沢重子
同
赤松雄子
同
藤本稔子
同
西和子
右五名訴訟代理人
岸井八束
小長谷国男
今井徹
被告
国
右代表者法務大臣
秦野章
右指定代理人
饒平名正也
外七名
被告
三重県
右代表者知事
田川亮三
右訴訟代理人
坪井俊輔
右指定代理人
佐治茂
外三名
小井万丸
主文
一 被告らは、各自、原告赤松まさえに対し、二八七七万四九四〇円及びこれに対する昭和五四年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、各自、原告長沢重子、同赤松雄子、同藤本稔子及び同西和子のそれぞれに対し、各三五九万六八六七円宛及びこれに対する昭和五四年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
五 この判決は、第一、第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一請求の趣旨
1 被告らは、連帯して、原告赤松まさえに対し四六〇〇万円、同長沢重子、同赤松雄子、同藤本稔子及び同西和子のそれぞれに対し各五七五万円宛並びに右各金員に対する昭和五四年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 仮執行免脱宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告ら
原告亡赤松重雄(以下「亡重雄」という。)は訴外亡赤松哲男(以下「訴外亡哲男」という。)の父であり、原告赤松まさえ(以下「原告まさえ」という。)は亡哲男の母である。
亡重雄は昭和五五年九月二日死亡し、同人の妻原告まさえ(相続分三分の一)並びに長女長沢重子(相続分六分の一、以下「原告長沢」という。)、次女赤松雄子(相続分同、以下「原告雄子」という。)、三女藤本稔子(相続分同、以下「原告藤本」という。)及び四女西和子(相続分同、以下「原告西」という。)が亡重雄を相続した。
2 事故の発生
吉野熊野国立公園大台ケ原の、三重県多気郡宮川村大杉台のの堂倉小屋から桃の木山の家に下る登山道のほば中間地点の宮川(通称「堂倉川」)に通称堂倉吊橋(以下「本件吊橋」という。)が、かかつている。
訴外亡哲男は、大阪の登山サークル「山と友の会」に属し、昭和五四年九月一五日同会主催の大杉谷一泊登山コースに同会会員約五〇名とともに参加した。右山と友の会一行は、一二、三名ずつ四班に分れ、各班毎にリーダーを決めその指揮のもとに行動していたが、同日午後二時四五分ころ本件吊橋に到着し、右四班のうち、まず第一班と第二班が本件吊橋を渡り終わり、これにつづく訴外亡哲男の属する第三班は、同班リーダーの訴外上地明生(以下「訴外上地」という。)の指示に従い、三人ずつ渡ることを申し合わせ、同人を先頭に渡り始めた。
そして、亡哲男が全長約四五メートルある本件吊橋の中央からやや前より付近まで進んだところ、突然バーンという音がし、本件吊橋を支えていたメーンワイヤー二本のうち進行方向に向つて左側の一本が切れ、足場(橋面)が四五度に傾き、そのはずみで、折から渡橋中の訴外池田安子(以下「訴外池田」という。)は谷底に墜落して重傷を負い、同じく訴外亡哲男も橋面から転落したが、同人は咄嗟に両手で補助ワイヤーにぶら下がり、懸垂状態となつた。訴外上地及び同出来久生(以下「訴外出来」という。)がかけつけ、亡哲男の手首を持ち、同人を励ましつつ何度か引き揚げようと試みたが成功せず、ついに力尽きた亡哲男は、両手を離して墜落し、約二〇メートル下の露岩に激突したため、開放性頭蓋陥没骨折等により即死に近い状態で死亡した(以上の転落事故を以下「本件事故」という。)。
3 責任原因
(一) 被告三重県(以下「被告県」という。)
(1) 本件事故の原因は、本件吊橋のメーンワイヤー一本が高さ四メートルある支柱の支点で切れたことにある。このメーンワイヤーは、昭和三七年に本件吊橋がかけられて以来本件事故当時までの一七年間に一度も取り換えられておらず、このため完全に錆びつき、腐食してぼろぼろの状態であつた。とくに、支柱上部のワイヤーを支える部分は、最も荷重のかかる所であるのに、雨水の浸入をうけて腐食がひどく針金数本で辛じてもつている状態であつた。
メーンワイヤーは、直径21.5ミリメートルであり、本来ならば二本で六〇数トンの荷重に耐えられるようにできており、自重、風圧、安全率を考慮したとしても一五トン以上の荷重に容易に耐えられるはずである。それゆえ、メーンワイヤーが本来の機能を有しておれば、本件事故における程度の荷重で切断することなどありえない。
さらに、本件吊橋の補助ワイヤーは、本来はメーンワイヤーが切れても人が落ちないように救命金網の役割を果すべきものであるのに、その一端が切れたままに放置されて橋げたに結合されておらず、ただ土手上まで伸ばされていたにすぎないため、本件事故時には大きくたれさがってしまい、右本来の役割を果たさなかった。
このような本件吊橋の状態は、これが通常有すべき安全性を欠いていたといえる。
(2) 本件吊橋は、自然公園法一四条二項に基づき被告県が環境庁長官(昭和四六年法律第八八号による改正前は厚生大臣・以下同じ)の承認を受けて国立公園に関する公園事業の一部執行として設置管理する公の営造物である。
ところが、被告県は、前述のとおり、昭和三七年に本件吊橋を設置して以来一七年間、一度もメーンワイヤーの取り換えその他の補修をしていない。被告県は、昭和四八年に行われたインターハイ山岳競技の開始前に登山ルートにある一三か所の吊橋につき安全点検を実施した際、本件吊橋を含む七か所の吊橋が既に老朽化しているものと判断し、被告県の環境保全課によりこれら吊橋のかけ換え予算を要求したが、財政上の理由から右七か所のうち古い順に三か所のかけ換え予算だけが認められ、本件吊橋の分は、第四順位のためその予算が認められなかつた。
ところで、この時の安全点検は、被告県の委託した民間業者により行われたが、安全点検の報告書には、メーンワイヤーをチェックした旨の記録はない。この当時のメーンワイヤーの状態は、腐食が始まっており、それが外部からも容易に識別できたはずのものである。したがつて、右の安全点検そのものが極めて杜撰なものであつたといわざるをえない。
そして、右の安全点検以降本件事故時までの六年間に、本件吊橋の安全点検は全く行われず、かけ換え予算の要求も全くされていない。
以上のとおり、被告県の本件吊橋に関する管理は、極めて杜撰なものであつた。
それゆえ、本件事故は公の営造物たる本件吊橋の設置、管理の瑕疵により発生したことになるから、被告県は、国家賠償法二条一項により、本件事故に基づく損害の賠償責任を負う。
(二) 被告国の責任
(1) 国立公園については、自然公園法により、環境庁長官が、区域を定めてこれを指定し、指定の解除、変更をなす権限並びに国立公園に関する公園計画及び公園事業について決定、廃止、変更権限を有する。ちなみに、本件吊橋は、右権限に基づき、昭和三八年に決定された大台ケ原から千尋滝に至る道路の公園計画により設置されたものである。それだけではなく、そもそも、国立公園に関する公園事業は、原則として国が執行すべきものであるところ、本件吊橋は、右の例外として被告県が環境庁長官の承認を受けて国立公園に関する公園事業の一部として執行しているものである。
右のほか、地方公共団体の国立公園に関する公園事業の一部執行に関する必要事項を定めた自然公園法施行令によれば、国立公園事業の執行の承認を受けようとする者は同施行令七条各号に掲げる事項を記載した申請書を環境庁長官に提出しなければならないこと、承認を受けた者はその管理または経営の方法、その変更を環境庁長官に届け出なければならないこと、施設の位置、規模、構造等の変更、事業の休止及び廃止、地位の承継については、環境庁長官の承認を要すること、環境庁長官は、国立公園事業者に対し事業の執行に関する報告の徴収、立入検査、質問権を有し、必要があると認めるときは改善命令もなしうることが定められている。
ところが、被告国は、管理、経営方法変更の届出を受けずに放置したままであり、右改善命令等の権限があるのに本件吊橋等国立公園内における吊橋の実態につき何の調査も行わず、吊橋に関する何らの安全基準、管理基準も設定することなく、設置申請に対しては漫然と許可を与えている。
以上のとおり、被告国は、本件吊橋につき一般的事業執行権限を有しているにもかかわらず、その行使は極めて杜撰なものである。したがつて、被告国も、国家賠償法二条一項による設置、管理責任を免れない。
(2) 被告国は、被告県が執行する本件の公園事業に昭和三七年から昭和五〇年まで一一回にわたつて、それぞれ事業費の二分の一にあたる額の補助金を交付しており、そのうちには本件吊橋の補修事業に対する補助金も含まれている。
したがつて、被告国は、国家賠償法三条一項に基づき公の営造物の設置、管理費用の負担者としても損害賠償責任を免れない。
(三) 上記のとおりであるから、被告県及び同国は、本件事故より生じた損害につき連帯して責任を負う。
4 損害
(一) 財産的損害
(1) 逸失利益
訴外亡哲男は、昭和二一年九月六日生れで、本件事故当時三二才になつたばかりであつた。同人は、昭和四四年三月甲南大学経営学部を卒業し、訴外西村株式会社へ入社、昭和四五年九月二六日訴外神港ケミカルタンク株式会社(以下「訴外神港ケミカルタンク」という。)へ出向し、昭和五二年六月一日同社へ移籍した。
同人の本件事故による逸失利益は、就労可能年限を六七才として計算すると、四五〇〇万円を下らない。
(2) 葬祭費、墓碑建立費
原告まさえ及び亡重雄は、葬祭費七〇万円、墓碑建立費三〇万円計一〇〇万円の損害を被つた。
(二) 慰謝料
訴外亡哲男の慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。
原告まさえ及び亡重雄は、本件事故当時それぞれ六七才、七〇才であつて、既に老境に達した右両名の心痛は筆舌に尽し難く、固有の慰謝料として各四〇〇万円が相当である。
(三) 弁護士費用
五〇〇万円が、本件事故と相当因果関係にある。
(四) まとめ
原告まさえ及び亡重雄は、訴外亡哲男の有する損害賠償請求権を各二分の一宛相続し、さらに、亡重雄の死亡により、原告まさえ(相続分三分の一)、同長沢(相続分六分の一)、同雄子(相続分同)、同藤本(相続分同)及び同西(相続分同)が、亡重雄の有する損害賠償請求権を相続した。
したがつて、結局、原告らの請求額は、原告まさえ四六〇〇万円、その余の原告ら各五七五万円となる。
5よつて、原告らは、被告ら各自に対し、不法行為に基づき、請求の趣旨記載の各金額及び右各金員に対する本件事故の日である昭和五四年九月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告国
(一) 請求原因1の事実は認める。
(二) 同2の事実のうち、本件吊橋は吉野熊野国立公園大台ケ原の、三重県多気郡宮川村大杉谷の堂倉小屋から桃の木山の家に下る登山道のほぼ中間地点の宮川にかかつていること、本件吊橋のメーンワイヤー二本のうち進行方向向つて左側の一本が切れ、本件吊橋を渡つていた訴外池田が墜落して負傷し、訴外亡哲男も墜落して約二〇メートル下の露岩に激突し死亡したことは認め、その余の事実は知らない。
(三) 請求原因3(一)(1)の事実のうち、本件吊橋のメーンワイヤー一本が切れたことは認めるが、その余の事実は知らない。
(四) 請求原因3(二)(1)の事実のうち、自然公園法上環境庁長官が国立公園について原告主張のごとき権限を有していること、本件吊橋は右権限に基づき昭和三八年に決定された大台ケ原から千尋滝に至る道路の計画により設置されたこと、被告県は、国立公園に関する公園事業の一部として本件吊橋の設置、管理を執行し、これについて環境庁長官の承認を受けたこと、自然公園法施行令上原告ら主張のごとき定めがあることは認めるが、その余の主張は争う。
本件吊橋を含む吉野熊野国立公園事業は、自然公園法一四条二項に基づき被告県がこれを執行しているものである。そして、公共団体が執行している部分について被告国が競合的ないし重畳的に公園事業を執行するということはありえない。したがつて、被告国は、本件吊橋を含む公園施設につき、法律上占有管理の権限を有していないし、事実上占有管理していたこともない。
また、公園事業の一部執行に関する環境庁長官の承認または認可、申請者の国立公園に関する公園事業を執行する適格の有無、その申請にかかる事業の執行計画が相当であるか否か等の申請内容を審査するというものであるから、承認または認可によつて当該公園事業にかかる施設の設置、管理について被告国が責任を負うものとすることはできない。
また、国立公園の公園計画、事業決定、その廃止または変更の権限が環境庁長官に帰属しているからといつて、国に設置、管理の責任があるということもできない。
(五) 請求原因3(二)(2)の主張は争う。
被告国が自然公園法に基づいて公園事業者に対してなす補助金の交付は、予算の範囲内で行う任意的なものにすぎない。また、被告国は、本件吊橋に関しては、昭和四二年度に一回だけ費用総額六七万三四六九円のうち一三万五九九二円を補助金として交付したにすぎない。
ところで、国家賠償法三条一項の費用負担者とは、当該営造物の設置、管理費用の支出を義務づけられた者か、あるいは、当該営造物の安全な維持について右の者と同視しうるような実質的関係にある者をいう。そして、補助金は個別の事業に対して交付されるものであるから、右の費用負担者についても個々の特定された事業について判断すべきであり、本件においては、本件吊橋のみについて判断すべきである。
したがつて、本件においては、被告国は、国家賠償法三条一項の「費用負担者」の右いずれの類型にもあたらない。
(六) 請求原因3(三)の主張は争う。
(七) 同4の事実について
(1) 同4の事実はすべて争う。
逸失利益の算定について、昇給等を考慮するのは妥当ではなく、生活費の控除は五〇パーセントを下らないものとして計算すべきである。
葬祭費、墓碑建立費は、あわせて六〇万円を相当とし、慰謝料は、訴外亡哲男固有の慰謝料と両親らのそれとをあわせ、一〇〇〇万円が相当である。
(2) 退職金については、死亡時に死亡退職金が支給されるから、これを控除すべきである。
賞与については、その支給は、就業規則上会社の業績いかんにかかり、支給の蓋然性は低いから、損害費目に加えるべきではない。
弁護士費用については、原告らの主張額は、高額に過ぎる。
2 被告県
(一) 請求原因1の事実のうち、原告まさえ及び亡重雄と訴外亡哲男との身分関係は知らないが、亡重雄と原告らとの身分関係は認める。
(二) 同2の事実の認否は、被告国と同じである。
(三) 同3(一)(1)の事実のうち、本件事故の原因は、本件吊橋のメーンワイヤー一本が高さ四メートルの支柱の支点部分で切れたことにあること、このメーンワイヤーは昭和三七年以来一度も取り換えられていなかつたことは認めるが、その余は争う。
(四) 請求原因3(一)(2)の事実のうち、本件吊橋は自然公園法一四条二項に基づき被告県が環境庁長官の承認を受けて国立公園に関する公園事業の一部執行として管理する公の営造物であること、そのメーンワイヤーは昭和三七年に設置されて以来一度も取り換えられていないこと、被告県は昭和四八年のインターハイ山岳競技の開始前に一三か所の吊橋につき安全点検を実施したこと、被告県環境保全課では本件吊橋を含む七か所の吊橋のかけ換え予算の要求をしたが、財政上の理由から本件吊橋のかけ換えは行われなかつたこと、右安全点検は民間業者に委託して行われたこと、昭和四九年以降本件吊橋のかけ換え予算の請求がなされていないことは認めるが、その余の事実は争う。
(五) 請求原因4の事実の認否は、被告国の認否(七)(1)と同じである。
三 被告らの主張
1 被告県は、本件吊橋を含む吉野熊野国立公園大杉台線道路の利用者の安全確保を図るため随時パトロールを実施していたが、地理的状況を理由に、昭和四七年以降はこれを宮川村に委託した。同村は、毎年概ね三月、四月各一回、五月ないし一一月各二回の計一六回、大杉谷線道路のパトロールを実施し、これに関して被告県から登山歩道パトロール事業補助金の交付を受けている。
被告県は、昭和四八年八月一日東網橋梁株式会社に対し大杉谷線道路にかかる各吊橋の安全性について調査を委託し、昭和四九年三月、その調査結果を参考にして一二の吊橋の通行制限を実施することとし、本件吊橋については通行制限員数を一名と決定し、そのころ、宮川村、大台警察署と連名で「通行制限、一人づつゆすらないで静かに渡つて下さい」と記載した縦0.5メートル、横一メートルの警告板を本件吊橋の両側に設置し、この警告板は、本件事故当時にも存在した。
被告県は、昭和四三年一月二〇日から同年三月三〇日までの間に事業費二七万一九八四円を、昭和四八年七、八月に事業費八万八七八九円を、昭和五〇年九月に事業費一八万三〇七八円を、昭和五四年三月に事業費一二万九六一八円、合計六七万三四六九円を支出して、本件吊橋の補修工事をした。
以上のとおりであるから、被告県の本件吊橋に対する管理に瑕疵はない。
2 訴外亡哲男らが本件吊橋を渡橋するについて、仮に通行制限通り一人づつ渡つておれば、メーンワイヤーが切断することはなかつた。
ところが、本件事故当時訴外三上博三(以下「訴外三上」という。)、同土井嘉隆(以下「訴外土井」という。)、同石井保雄(以下「訴外石井」という。)の三名が既に本件吊橋を渡橋中であつたのに、これに続いて、山と友の会の会員のうち第三班に属した者らが、訴外上地、同山崎晴代(以下「訴外山崎」という。)、同正山行夫(以下「訴外正山」という。)、同川上洋子(以下「訴外川上」という。)、同亡哲男、同安田四郎(以下「訴外安田」という。)、同池田、同佐川貫彦(以下「訴外佐川」という。)、の順序で渡り始めた。訴外亡哲男が中央付近にさしかかつた際、メーンワイヤーが切断したが、その時点では、右訴外土井、石井、上地、山崎、正山、川上、亡哲男、安田、池田、佐川が、渡橋中であつた。
本件事故の原因は、前記人数制限を無視して右のように同時に多人数が渡橋したことにあり、被告県の管理の瑕疵に基づくものではない。
(右主張事実に対する原告の認否)
本件事故当時、右の訴外上地以下の八名が渡橋中であつたことは認める。
四 抗弁(過失相殺)
前記三の通り、本件吊橋には通行制限がなされており、その旨の警告板も存在したのに、これを無視し、あえて一一名もの多人数で渡橋した訴外亡哲男には、重大な過失があるというべきであるから、損害額の算定にあたつてはこれを斟酌すべきである。
五 抗弁に対する原告の反論
以下の事実があるので、原告側に過失を認め、過失相殺を肯定することは、不当である。
1本件事故において切断したメーンワイヤーは、事故当時すでに腐食によつてぼろぼろの状態にあり、わずか数本の針金だけで辛じてもつているような状態にあつたのであるから、仮に通行制限のとおり一人ずつ渡つたとしても、その荷重で切断したことは間違いない。したがつて、一度に多人数で渡橋したこととメーンワイヤーの切断との間には因果関係がないので、この点を過失相殺の根拠とするのは、不当である。
2 本件吊橋のメーンワイヤーが前述のようにぼろぼろの状態であつたことは、通行者からは全く見えず、本件吊橋の外見上危険な状態は認められなかつた。
前記の「通行制限、一人づつゆすらないで静かに渡つて下さい」との警告板の表示は、その文意からして、吊橋の揺れによる危険を強調するものであり、ワイヤー切断の危険を警告するものではない。
大杉谷線道路の一三の吊橋のいくつかは、通行制限の表示が設置されているが、登山者の間では必ずしもこれが遵守されず、多人数での渡橋が日常化していた。
以上の各事実から、訴外亡哲男らにとつては、本件吊橋のメーンワイヤーが荷重により切断することは、夢にも思わぬ出来事であり、到底予見することのできないものであつた。
3山と友の会としては、事前に吊橋の渡橋方法について、通行制限が一人の所は三人で、二人の所は五人で渡橋するように打ち合わせていた。その理由は、吊橋を渡る時の心理的恐怖心を考慮して、むしろ、複数名による渡橋の方がかえつて安全であると考えたからであり、右の考えには合理性がある。
山と友の会一行が本件吊橋を渡る際には、渡橋の順番を待つ登山者が多数渡り口付近に群がり、混雑状態にあり、仮に自分達が通行制限を守つても、後ろから他のパーティーが次々に続いて来るという状態であつた。
以上の状況下では、訴外亡哲男らにとつて、本件吊橋を同時に多人数で渡ることは、回避できなかつた。
第三 証拠<省略>
理由
一 請求原因1の事実(原告ら)について
亡重雄は訴外亡哲男の父であること及び原告まさえは同人の母であることについては、原告らと被告国との間では争いがなく、被告県との間では、原告赤松まさえ本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。
右事実によれば、亡重雄及び原告まさえは訴外亡哲男の相続人であり、その相続分は各二分の一である。
亡重雄は昭和五五年九月二日死亡したこと、同人の妻原告まさえ並びに長女原告長沢、次女原告雄子、三女原告藤本及び四女原告西が亡重雄の相続人であることは、当事者間に争いがない。
右事実によれば、原告まさえの相続分は三分の一、その余の相続人らの相続分は各六分の一である。
二 請求原因2の事実(事故の発生)について
本件吊橋は、吉野熊野国立公園大台ケ原の、三重県多気郡宮川村大杉谷の堂倉小屋から桃の木山の家に下る登山道のほぼ中間の、宮川(通称「堂倉川」)にかかつていることは、当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、次の事実を認めることができる(但し、次の4及び5の事実のうち、本件吊橋のメーンワイヤー二本のうち進行方向に向つて左側の一本が切れ、渡橋中の訴外池田が墜落して負傷し、訴外亡哲男も墜落して約二〇メートル下の露岩に激突して死亡したことは、当事者間に争いがない)。
1訴外亡哲男は、大阪の登山サークル「山と友の会」に属していた。山と友の会は、当時、小学生から八〇歳位の高齢者まで男女総数約三五〇名の会員からなつていた。
2山と友の会は、昭和五四年九月一五、一六両日の大杉谷一泊登山を企画し、約五〇名の会員が、この企画に参加した。訴外亡哲男は、この参加者の一人であつた。
右約五〇名の参加者は、一二、三名ずつ四班に分れ、各班にリーダーとサブリーダーが決められ、訴外亡哲男は、第三班に属し、第三班のリーダーは、訴外上地であつた。
3山と友の会一行は、昭和五四年九月一五日午前六時三〇分、近鉄阿倍野駅に集合、電車、バスを利用して、午前一〇時三七分に大台ケ原に到着、昼食、注意事項の徹底、準備体操等をして、午前一一時二三分、登山コースに出発、午後一時二五分、堂倉小屋に到着、休憩の後、午後二時五〇分ころ、本件吊橋に到着した。
4山と友の会一行のうち、まず、第一班と第二班が本件吊橋を渡り終つたので、次に、第三班が渡ることになり、リーダーの訴外上地が「三人ずつ渡ろう。」と指示して、同人を先頭に予め定めていた順番どおりに渡橋し始めた。訴外上地が全長約四六メートルの本件吊橋の中央よりやや前方まで進んだところ、突然バーンと大きな音がし、本件吊橋を支えていたメーンワイヤー二本のうち進行方向に向つて左側の一本が切れ、足場(橋面)が大きく傾いた。
5そのはずみで、本件吊橋を渡橋中の山と友の会女性会員訴外池田は、墜落して重傷を負い、訴外亡哲男は、咄嵯に補助ワイヤーに両手でぶら下がり、懸垂状態となつた。本件吊橋の足場に自力ではい上つた訴外上地と山と友の会一行の最後尾で待機していた会員の訴外出来とが、亡哲男の救助に向い、同人の手首を持つて、同人を励ましつつ何度か引き揚げようとしたが、これに成功せず、訴外亡哲男は、ついに力尽きて両手を離し、約二〇メートル下の谷底に墜落し露岩に激突して即死した。
以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 被告県の責任原因について
1本件吊橋は、自然公園法一四条二項に基づき、被告県が、環境庁長官の承認を受けて国立公園に関する公園事業の一部執行として、設置、管理するものであることは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実によれば、本件吊橋は国家賠償法上の「公の営造物」にあたるということができる。
<証拠>によれば、本件吊橋のメーンワイヤーは、直径21.5ミリメートルであり、本来ならば二本で約六〇トン(一本あたり約三〇トン)の荷重に耐えられるようにできており、自重、風圧、安全率を考慮に入れても一〇名程度の渡橋者の荷重には十分耐えうるものであること、ところが、本件事故当時、メーンワイヤーは、錆びて褐色化し腐食のひどい外側ではぼろぼろの状態であつたこと、とくに破断したメーンワイヤーについてみると、支柱上部に接するワイヤー支点部は、雨水の浸入を受けて、外周の素線は腐食し、内側の素線数本でもつている状態であり、その耐荷重は、設計時の約一〇〇分の四(約1.2トン)であつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、本件吊橋は、本件事故当時、公の営造物たる国立公園内の歩道施設として通常有すべき安全性を欠いていたというべきことは、明らかである。
2まず本件吊橋に対する設置の瑕疵について検討するのに、本件吊橋の設置の瑕疵があつたことを認あるに足りる証拠はない。
むしろ、前記認定の通り、本件事故当時本件吊橋のメーンワイヤーの耐荷重が約1.2トンしかなかつたのは主として長期間にわたる雨水による腐食のためであり、設置時の腐食がない状態では、その耐荷重は約三〇トンであつたのであり、また、<証拠>によれば、メーンワイヤーが破断した部分である支点部に何らかの構造上の欠陥があつたとは考え難いことが認められるから、被告県には本件吊橋に対する設置の瑕疵はなかつたものというべきである。
3(一) 次に、本件吊橋に対する管理の瑕疵について検討するのに、まず、危険の予見可能性の有無から検討する。
<証拠>によれば、本件事故当時、各ワイヤーロープ、メーンワイヤーの受沓溝、受沓カバー等本件吊橋の金属製部品は、一様に茶褐色にさびて、表面がざらざらしていたこと、破断したメーンワイヤーの腐食は外層から内層へ向つて順次進展しており、外観を注視すれば容易に腐食を発見できること、腐食の進行は通常で年間約0.2ミリメートルであるから、破断したメーンワイヤーの外層の素線(半径約0.85ミリメートル)が完全に腐食するには約四年の歳月を要することが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、本件吊橋のメーンワイヤーが腐食し、耐荷重が極度に低下していることは、容易に認識しえたというべきである。
もつもと、被告県は、昭和四九年三月大杉谷線道路の各吊橋の安全性調査結果を参考に、本件吊橋の両側渡り口に「通行制限、一人づつゆすらないで静かに渡つて下さい、三重県、宮川村、大台警察署」との記載のある縦0.5メートル、横一メートルの大きさの警告板を設置し、これは、本件事故当時も存在していたことは、当事者間に争いがない。そして、仮に、右警告板の指示が登山者の間で一般に遵守されるものであつたとすれば、一度に多数の登山者が本件吊橋を渡橋することを予見できなかつたということになり、危険の予見可能性の有無に影響を及ぼすこととなる。
しかしながら、<証拠>によれば、大杉谷線道路は、一泊二日の登山コースとしては比較的楽な、登山というよりはハイキングというべきコースであり、スカートやヒール靴をはいたままの登山者もあること、近鉄がこれを一般用の登山コースとして宣伝していること、ここには年間約一万二〇〇〇名、シーズン中一日約五、六〇〇名の登山者が訪れること、現に本件事故当日は約四〇〇名の登山者が訪れていたこと、大杉谷線道路にかかる本件吊橋以外の各吊橋において、同時に五名以上の登山者が渡橋することが、しばしば見られること、山と友の会一行も、大杉谷登山に際し、吊橋に通行制限がある場合、制限人数一人の場合は三人で、同二人の場合は五人で同時に渡橋する旨を打ち合わせていたことが認められる。
右認定の事実に、被告県の設置した警告板記載の「一人づつゆすらないで静かに渡つて下さい」という文言が、荷重によるワイヤーの破断の危険を警告する旨の表現とは必ずしも看取し難いことを総合して考慮すれば、本件吊橋を含む大杉谷線道路の各吊橋においては、通行制限の警告板の存在にもかかわらず、登山者の間では同時に五名以上もの人数で渡橋することが常態化していたものと推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そうだとすると、被告県としても、前記警告板の存在するにもかかわらず、なお、登山者が本件吊橋を同時に多人数で渡橋する事態は、十分に予想しえたというべきである。
果して上記のとおりであるとすれば、被告県としては、腐食のため本件吊橋の耐荷重が極度に低下していたこと及び登山者が本件吊橋を同時に多人数で渡橋することのいずれの事実も、予見可能であつたというべきである。
(二) したがつて、被告県は、本件吊橋の危険回避のため、腐食したメーンワイヤーを取り換え、正常な安全性を回復するようにするとか、それまでの間、本件吊橋を通行禁止にし、又は、同時に多人数の登山者が渡橋しないよう監視員を配置するなど、単なる前記警告板設置以上により確実性のある危険防止の措置を講ずべき義務が存したものというべきである。
(三) ところで、本件吊橋は、昭和三七年に設置されて以来一七年間一度もかけ換えられていないこと、被告県は、昭和四八年のインターハイ山岳競技の開始前に登山ルートにある一三の吊橋につき民間業者に委託して安全点検を実施したこと、右点検の結果に基づき被告県環境保全課により本件吊橋を含む七か所の吊橋のかけ換え予算の要求がなされたが、財政上の理由から本件吊橋のかけ換えは行われなかつたこと、昭和四九年以降本件事故当時までの六年間に、本件吊橋のかけ換え予算の要求はなされていないことについては、原告と被告県との間では争いがなく、被告国はこれを明らかに争わないから自白したものとみなす。
他方、被告県は、昭和四九年三月、大杉谷線道路にかかる一二の吊橋に通行制限を実施することとし、本件吊橋については通行制限員数を一名と決定し、そのころ、宮川村、大台警察署と連名の前記警告板を本件吊橋の渡り口両側に設置したことは、前記のとおりであり、<証拠>によれば、被告県は、大杉谷線道路を利用する者の安全確保のため随時パトロールを実施していたが、昭和四七年以降はこれを宮川村に委託し、宮川村は、毎年約一六回大杉谷線道路のパトロールを実施し、これにつき被告県から大杉谷登山歩道パトロール事業補助金の交付を受けていること、被告県は、昭和四三年に二七万一九八四円、昭和四八年に八万八七八九円、昭和五〇年九月に一八万三〇七八円、昭和五四年三月に一二万九六一八円の事業費を費して、本件吊橋の補修工事をしたことが認められる。
しかしながら、被告県の右措置にもかかわらず、耐荷重の著しい低下による本件吊橋の危険性は何ら改善されないまま推移したのであるから、被告県としては、同時に多人数の登山者が本件吊橋を渡橋することによる危険を完全に防止するため、前述のとおり、メーンワイヤーの交換、通行禁止または監視員の配置等より確実性のある具体的措置を講ずべき義務があつたのであり、右のごとく、単なる警告板の設置や、年間約一六回のパトロールをさせていただけでは、被告県の本件吊橋に対する管理には瑕疵があつたといわざるをえない。
4以上のとおりであるから、本件事故は、被告県の管理の瑕疵に基づく本件吊橋の安全性の欠如に起因するものというべきであり、被告県は、国家賠償法二条一項により、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務を負う。
四 被告国の責任原因について
1まず、国家賠償法二条一項の責任の有無について検討する。
環境庁長官は、自然公園法上、国立公園について区域を定めてこれを指定し、指定の解除、変更をなし、国立公園に関する公園計画及び公園事業についても決定、廃止、変更する権限を有すること、自然公園法施行令上、国立公園事業の執行の承認を受けようとする者は、必要事項を記載した申請書を環境庁長官に提出し、承認を受けた者は、管理または経営の方法、その変更を環境庁長官に届け出、施設の位置、規模、構造等の変更、事業の休止、廃止、地位の承継について環境庁長官の承認を要し、環境庁長官は、事業者に対し、国立公園事業の執行に関し報告の徴収、立入検査、質問権を有し、改善命令もなしうることは、原告主張の通りであり、本件吊橋は、右の権限に基づき昭和三八年に決定された大台ケ原から千尋滝に至る道路計画により設置されたものであること、被告県は、国立公園に関する公園事業の一部として本件吊橋の設置、管理を執行し、これについて環境庁長官の承認を受けたことは、原告と被告国との間に争いがない。
右のとおり、被告国は、吉野熊野国立公園に属する本件吊橋について一般的事業執行権限を有する。
しかし、右の権限は、事業執行者の国立公園施設に対する設置、管理権限を否定するものではなく、あくまでこれを前提としていると解すべきであるし、前記三1判示のとおり、本件吊橋は、被告県が自然公園法一四条二項に基づく国立公園に関する公園事業の一部執行として自ら設置、管理するものであること、環境庁長官が、本件吊橋につき、現実に報告の徴収、立入検査、質問、改善命令をなしたことを認めるに足りる証拠はないことを総合して考慮すれば、被告国が右一般的事業執行権限を有していることのみをもつて、被告国を本件吊橋の設置、管理者と認めるには、不十分であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
2次に、国家賠償法三条一項に定める費用負担者としての責任の有無について判断する。
<証拠>によれば、被告国は、被告県が大杉谷線道路の架設、補修等の事業をなすに際し、自然公園法二六条に基づき、被告県に対し昭和三七年から昭和五〇年まで一一回にわたりそれぞれ事業費の二分の一にあたる額の補助金を交付したこと、右のうち昭和四三年一月二〇日厚生省収国第八号交付決定通知による交付補助金一五〇万円のうち一三万五九九二円は、昭和四三年一月二五日厚生省収国第二〇号事業執行承認に基づく本件吊橋の補修工事の費用にあてられたこと、右の本件吊橋の補修工事費用総額は、二七万一九八四円であつたこと、被告県は、本件吊橋に対しては、右のほか昭和四八年度、昭和五〇年度及び昭和五三年度にそれぞれ八万八七八九円、一八万三〇七八円及び一二万九六一八円の県費を支出して補修工事をなしたが、右三回の補修に関しては、被告国は、補助金の交付をしていないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実のとおり、被告国は、右四か年度にわたる本件吊橋の補修費用総額六七万三四六九円のうち一三万五九九二円を補助金として交付したにとどまり、その余の費用は、被告県が負担しているのであるから、被告国の本件吊橋の補修に関する費用負担の割合は、被告県の約四分の一にすぎない。そして、右のほかに被告国が本件吊橋の設置管理費用を負担したことを認めるに足りる証拠はない。
ところで、国家賠償法三条一項の費用負担者とは、当該営造物の設置、管理費用につき法律上負担義務を負う者またはこの者と同等もしくはこれに近い設置管理費用を負担し、実質的にはこの者と当該営造物による事業を共同執行していると認められる者であつて、当該営造物の瑕疵による危険を効果的に防止しうる者をいうと解すべきところ(最高裁判決昭和五〇年一一月二八日民集二九巻第一〇号一七五四頁参照)、前記認定のとおり、本件における被告国の費用負担は、自然公園法二六条に基づくものであつて、それは、法律上の義務に基づくものではない(同法二五条)し、負担の割合も、せいぜい被告県の四分の一にとどまつている。
しかしながら、自然公園法二六条の補助金交付の主たる目的は、国が本来執行すべき国立公園事業を現に執行しまたは執行を予定している都道府県に対し、同法の見地から助成の目的たりうると認められる事業の一部について補助金を交付することにより、その財源的裏付けを確保するとともに、その執行を義務づけ、かつ、その執行が国立公園事業としての一定水準に適合すべきものであることの義務を課することにあり(明治三〇年四月一日法律第三七号「国庫ヨリ補助スル公共団体ノ事業ニ関スル法律」、昭和三〇年八月二七日法律第一七九号「補助金等に係る予算執行の適正化に関する法律」、昭和四三年五月二七日厚生省発国第一一八号厚生事務次官通知「国立公園及び国定公園施設整備費の国庫補助について」参照)、当該事業が国民の利用する道路、施設等に関するものであるときは、その利用者の事故防止に資することを含むのは明らかである(国立公園及び国定公園施設整備費国庫補助金取扱要領)。
そうすると、本件吊橋の設置、管理のため、国が被告県に交付した右補助金の額が前記のとおり被告県の支出額に対し四分の一にすぎないものであつても、国家賠償法三条一項の適用に関する限り、被告国は本件吊橋の設置管理費用の負担者たることを免れえないものというべきである。
3以上のとおりであるから、被告国は原告らに対しその損害を賠償すべき義務がある。
五 損害について
1 弁護士費用を除く損害
(一) 逸失利益
<証拠>によれば、訴外亡哲男は、本件事故による死亡当時三二才の健康な独身の男子であり、訴外神港ケミカルタンクに勤務していたこと、訴外亡哲男の訴外神港ケミカルタンクにおける死亡直前三か月の給与額は、昭和五四年七月分二六万四一八〇円、同年八月分二三万六二〇〇円、同年九月分二四万二三六五円であつたこと、訴外神港ケミカルタンクの就業規則上、毎年七月及び一二月の二回原則として賞与を支給する旨の定めがあつたこと、訴外亡哲男の昭和五三年度の賞与額は、二回分合計八〇万六八九〇円であつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、右死亡直前三か月の平均給与額の一二倍に右年間賞与額を加えた三七七万七八七〇円を訴外亡哲男の死亡時の年収とし、生活費割合を四〇パーセント、稼働可能期間を六七才までの三五年間(右についての新ホフマン係数は、19.917)とするを相当として、訴外亡哲男の逸失利益の現価を求めると、四五一四万六三〇七円となる。
算式3,777,870×(1−0.4)×19.917=45,146,302
(なお、原告らは、逸失利益の額を四五〇〇万円と主張するが、財産上の損害に関する請求額の範囲内である限り裁判所は当事者の主張する逸失利益の額には拘束されないと解する。)
(二) 葬祭費及び墓碑建立費
弁論の全趣旨によれば、原告まさえ及び亡重雄 各四〇万円を相当と認める。
(三) 慰謝料
原告赤松まさえ本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、訴外亡哲男の慰謝料は二〇〇万円を相当とし、原告まさえ及び亡重雄固有の慰謝料は各四〇〇万円を相当と認める。
2 抗弁(過失相殺)について
(一) 本件事故当時、本件吊橋の両側渡り口に「通行制限、一人づつゆすらないで静かに渡つて下さい、三重県、宮川村、大台警察署」との記載された縦0.5メートル、横一メートルの警告板が設置されていたこと、本件吊橋のメーンワイヤーが破断した瞬間に山と友の会一行のうちで本件吊橋を渡橋中であつた者は、訴外上地、同山崎、同正山、同川上、同亡哲男、同安田、同池田、同佐川の八名であつたことは、当事者間に争いがない。
さらに、<証拠>によれば、右八名の渡橋の順序は、右掲記の順序の通りであつたこと、メーンワイヤー破断の瞬間には、右八名のほか訴外上地の前方に山と友の会所属の登山者である訴外土井及び同石井の両名が、この順序で渡橋中であつたこと、山と友の会の一行は、大台ケ原登山の事前計画において、吊橋の渡り方につき、通行を一名に制限されている所は三名で、二名の所は五名で渡橋するように決めていたことが認められ、前の者がすべて渡り終るのを確認してから渡橋を開始した旨の証人上地明生の証言は、前掲証拠に照して信用できず、他に右各認定を覆すに足りる証拠はない。
また、訴外亡哲男の属した第三班のリーダー訴外上地は、渡橋を始める際「三人ずつ渡ろう。」と指示したことは、前記認定の通りである。
以上によれば、訴外亡哲男は、通行を一名に制限した前掲警告板も、また、班リーダー上地が「三人ずつ渡ろう。」と指示したのも無視し、自分の前方には訴外土井、同石井、同上地、同山崎、同正山、同川上の六名の者らが渡橋中であるにもかかわらず、あえて本件吊橋の渡橋を開始した点に過失があつたものということができる。
そして、前記認定の本件事故当時のメーンワイヤーの耐荷重は、破断した方だけでも約1.2トンあつたこと、本件事故直前に少なくとも山と友の会一行のうち第一、第二班の者らが、本件吊橋を渡り終えていることを総合すれば、訴外亡哲男が前記警告に従わず右人数で本件吊橋を渡橋したことにより少なくともメーンワイヤーの破断に至る直接的誘因となつたことは明らかであり、その反面、亡哲男が単独で渡橋しても右メーンワイヤーの破断を招来したものと推認すべき証拠はない。
(二) もつとも、本件吊橋渡り口両側に存在した「通行制限、一人ずつゆすらないで静かに渡つて下さい」との警告板の文言は、メーンワイヤーの破断の危険を端的に表現するものではないこと、大杉谷登山者の間では、吊橋の通行制限を無視し、これを越える人数で渡橋することが、日常化していたことは、前記のとおりであり、また、<証拠>によれば、本件事故当時本件吊橋の渡り口付近は、渡橋の順番待ちの人々で混雑状態にあつたことが認められる。
しかし、右の各事実が存在しても、なおも訴外亡哲男としては、先行する者らが渡橋し終るまで自らの渡橋を差し控え、後続の者らが自分の後に続いて渡橋することに対しては、前記警告板や三人ずつ渡る旨の打ち合せ等を理由にこれを制止することは可能であつたと考えられるから、右各事実は、訴外亡哲男の過失を否定する事由とはいえない。
(三) したがつて、前記(一)記載の事実は、過失相殺事由として損害額の算定上斟酌せざるをえない。
そして、右訴外亡哲男の過失と本件吊橋に対する管理の瑕疵の重大性とを対比して考慮すれば、本件事故による損害の負担の割合は、訴外亡哲男(ひいては原告まさえ及び亡重雄)において一〇分の三、被告県及び国において一〇分の七とするのが相当である。
したがつて、過失相殺後の損害額は、以下のとおりとなる。
訴外亡哲男の逸失利益 三一六〇万二四一一円
葬祭費及び墓碑建立費 原告まさえ及び亡重雄各二八万円
慰謝料 訴外亡哲男 一四〇万円
原告まさえ及び亡重雄
各二八〇万円
3 弁護士費用を除く損害賠償額まとめ
原告まさえ及び亡重雄は、訴外亡哲男の逸失利益及び慰謝料の支払請求権を各二分の一宛相続した。
そこで、原告まさえ及び亡重雄が請求しうる損害賠償額は、各一九五八万一二〇五円となる。
4 弁護士費用
原告まさえ及び亡重雄、各二〇〇万円を相当と認める。
5 損害まとめ
右3、4記載額の合計二一五八万一二〇五円が、原告まさえ及び亡重雄の各自が請求しうる損害額となる。
そして、亡重雄の死亡により、原告まさえは三分の一、その余の原告らは各六分の一宛亡重雄を相続した。
そこで、原告らが請求しうる損害賠償額は以下のとおりである。
原告まさえ 二八七七万四九四〇円その余の原告ら 各三五九万六八六七円
したがつて、被告県並びに国は、原告まさえに対し本件事故による損害金二八七七万四九四〇円及びこれに対する不法行為の日である昭和五四年九月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、その余の原告ら各自に対し同金三五九万六八六七円及びこれに対する昭和五四年九月一五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務を負う。
六以上によれば、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言については相当でないからその申立を却下することとして、主文のとおり判決する。
(牧山市治 山﨑杲 柴谷晃)